店舗への直接のご連絡は、営業の妨げになりますのでお控えください。
店舗へご連絡された方は、後継者としての取り扱いができない場合があります。

「蕎麦彩彩 久留葉」の事業承継先を募集する記事です。
掲載期間:3月31日まで ※予告なく募集を終了する場合があります。

函館市の人気蕎麦店「蕎麦彩彩 久留葉」。世界的に有名な美食ガイドの北海道2017特別版掲載店で、函館の伝統的建造物に指定されている家屋を改修して営まれています。観光客が多く訪れる元町の中でも、古建築が並ぶ大三坂にありながら、市民の心もグッとつかんで離さない同店。店主の加藤さんは、この度体力的な問題などから「いさり灯」で後継者を募集することになりました。同店の成り立ちについてはもちろん、加藤さんのお店や蕎麦打ちに懸ける想いと承継者に求めることを聞きました。
40代、普通の会社員がはじめた蕎麦屋

―簡単に、経歴を教えてください。
小さい時から、料理をするのは好きだったんですよ。それで、高校受験を考える頃に「高校に行かないでコックになりたい」と親に伝えました。しかし、何を間違ったのか、成績が良くて(笑)。当時の常識だと、高校進学するのが当然。そのまましょうがなく進学しました。大学卒業後は20年以上会社勤めをしていましたが、40歳を過ぎた頃からなんか「ザワザワ」と違和感を感じまして。このまま管理職で立場もさらに上がると、東京転勤だろうな、と。生まれも育ちも北海道の身としては、暑くてかなわないな、住みたくないな、と。それで、2007年10月に思い切って会社を退職。妻に「今日、会社辞めてきた!」「蕎麦屋やる」と伝えました。
―それは…とても驚かれたのでは?
そりゃ「はぁ?」ってなりますよね。でも、私の性格を知ってるから言ったことはやるんだろうな、と思ったんでしょう。実は、結婚して10年、喧嘩したことはなかったんですが…だんだんムカついてきたんでしょうね。店舗の候補を探すときも喧嘩してて、頭を冷やすために別行動をしていたんです。でも、怒っていたはずの妻が私を呼びに戻って来て、連れていかれたのが、昔2人で食べに来たことがある蕎麦屋。この店舗でした。

―とても興味深いご縁ですね。
再度ここを見つけた時は、フレンチ料理店でした。なので、まだ空き店舗ではなかった。その後もいろいろ不動産屋に候補をもらっていたのですが、思うようなところが無くて。ずっと決まらないままでいたら、不動産屋が「加藤さんが言うのってこういう店舗ですか?」と、出してきたのがここでした。それが、2008年3月。開店の約4か月前です。
ーずいぶん急では?
若かったからね。今はとてもやれない。会社を完全に退職したのも1月だったし。蕎麦屋になるって決めるまで、蕎麦粉に触ったことすらなかったから、毎日練習ですよ。
ー蕎麦粉に触ったことが無かった???
蕎麦屋になると決めてから、横浜の有名店に弟子入りして基礎を学んで、修行から自宅に戻ってからは毎日練習。自分たち家族だけじゃ食べきれないから、近所のボディービルダーの友人に食べてもらってました。

ーどうして蕎麦屋に?
幼少期は「食事」全般が嫌いだったんです。食べれるものがほとんどない、親に「ご褒美をあげるから食べなさい」と言われてしぶしぶご飯を食べる、そんな虚弱な少年時代だったのですが、その頃に食べれたのが「蕎麦」。だから私が蕎麦屋になると聞いた時、母は「いやあこういうもん(運命)なんだね」と。
あとは、自分にはちょっと不思議な能力があって、食べると、入ってるものや作り方がわかる。だから、大人になってからは、いろんな調味料を買い集めて、美味しいお店のものを食べて、再現する、というのをたびたびやっていた。
ーそれはすごいですね!
なので、函館のどの店にも存在しない蕎麦を無限に作れます。今はやっていないですが、以前、市内外のグルメな「先生」方に好評だったのが、夜のコース「無国籍蕎麦懐石」。
加藤さんが創り上げた「久留葉」像
ー「無国籍蕎麦懐石」?
蕎麦=日本って思うでしょう?実はシルクロードを通って世界各地で食べられてるんですよ。フランスのガレットだったり、ロシアのカーシャだったり、いろんな形で親しまれている。それで始めたのが「無国籍蕎麦懐石」。世界の蕎麦料理をアレンジして、「さあ先生今回は中東の旅ですよ」とかやるわけです。そうすると、お客さんにも面白がってもらえてね。大学の先生には知的好奇心の強い方も多くて「次はどんなテーマですか?」って楽しみにしてくれていたんです。

ーお客様との交流を、とても楽しまれていたんですね。
函館って、地元の人とのつながりがすごく大事。観光地だけど、お店を続けていくには地元の人に愛されないといけない。最初の頃は「観光客向けのお店ですか?」と聞かれることが多かったけど、私は「いやいや、地元の方に支持していただくのが大事なんです」と答えていました。
そのおかげか、17年たった今でも創業当時から通ってくれているお客様もいる。
当時はまだ小学生だったお子さんが、今では結婚して、お子さんを連れてきてくれる。こういう関係性があるから、簡単には店を閉めたくないな、と。
ー事業を継ぐ人を探そうと思ったきっかけを教えてください。
年齢的なこともありますし、手打ち蕎麦というのは身体を使う仕事なので、やはり手や肩、腰が痛くなってくるんですよ。実際、痛みも出てきていて。若ければ回復も早いんでしょうけど周りの先輩方を見ても、みんな同じように年齢とともに厳しくなっていく。だから、自分が元気なうちに次の形を考えたほうがいいのではないかと思ったのがきっかけです。

-ご健康の不安が大きいんですね。
突然体調を崩して「しばらく休みます」と言って戻れなくなるお店、たまにあるじゃない。自分も、いずれ無理ができなくなる時が来る。そうなる前に、と思っています。
最初は、突然閉店しようと思っていて、「長年お世話になりました」と張り紙を出して、スパッと終わるのもいいかなと。お店を閉めると決めたら、もう黙って終わろうと思っていたんです。
-それはとても惜しまれると思います…
私たち夫婦は、毎日ただ必死にやってきただけで、自分たちのお店がここまで評価されているという実感があまりないんですよ。
でも、お客様から「有名店だよ」「いつも混んでる」と言われると、ああ、そんなふうに見られているのか、と。「顔の見える商売」が大事で、それが煩わしいと思う人もいるかもしれませんが、私はそういう関係が好きなんです。
ー函館ならではですね。
だからこそ、単に「お店を閉める」という形にしたくない。
長年通ってくださった方々に、「あの店、急になくなったね」と思われるのは寂しい。
それで、「もし存続できる方法があるなら、それが一番いいのでは?」と考えるようになったんです。
息子のような存在・「久留葉」の今後
ー事業継承について、加藤さんが考える条件は?
まず一番大事なのはスピード感。「半年後、1年後にやります」というのでは遅すぎる。
次に重要なのは意欲と覚悟。そうは言っても、「やる気があります」というのは簡単だから…でも技術があるかどうかはあまり問題ではなくて、何もできなくても「自分はこれをやるんだ!」という気持ちがある人なら、続けていくことができると思います。ただ、蕎麦を打つことだけではなく、毎日お客様に蕎麦を提供し続けるという「継続の覚悟」がある人でないと難しい。技術も大事だけど、それ以上に「商売としてやっていく姿勢」を求めています。

ー趣味と商売は違う、ということでしょうか。
そう。趣味で蕎麦を打っていて、友人に振る舞ったら「美味しい!」と褒められた。そこから「じゃあ、お店をやってみよう」と考える人もいる。でも、それはあくまで趣味の世界の話であって、実際にお店を運営していくとなると、毎日大量の蕎麦を打ち続けることになるし、経営のことも考えなくてはいけない。そこに気づかずに始めてしまうと、途中で「こんなはずじゃなかった」となってしまう。
ー味については
味の継承は特に求めないです。そもそも、「私が教えた通りにやる」だけの人なら、継続していくのは無理でしょうね。もちろん、やっていく中で「やっぱりこれが一番いいんだ」となれば、そのまま続けてもらって構わないけど、大事なのは自分で考え、試行錯誤できることです。
ーとなると、ある程度変えていくことも必要?
むしろ「変えていくことが当たり前」だと思っています。自分も、どんどんやり方を変えているし。世の中がどんどん変わっていく中で、「今のままを守る」ことにこだわるのは現実的ではないです。味やコンセプトも、自分で考えて作っていくべきだと思います。
ーそうなると、継承する方にはかなりの自由度があるということですね。
基本的に「好きにやっていい」というスタンスです。名前を引き継いでもいいし、変えてもいい。壁の色を変えてもいいし、メニューを変えてもいい。
ただ、「ちゃんとやること」だけは大前提ですね。
蕎麦屋は地道な作業の積み重ねです。安易に始めると、続かないケースが多い。実際、蕎麦屋を引き継いで一年足らずで辞めてしまう人もいますからね。見た目は華やかに見えるかもしれないけど、裏では泥臭い仕事がたくさんあります。やるなら、それなりの覚悟が必要ですね。

ー名前については。
譲る方がどうしたいかによります。「名前も含めて引き継ぎたい」という方にはそのまま譲るし、「名前はいらない、新しい店としてやりたい」というなら、それもOKです。
もちろん、「久留葉」という名前には思い入れがあります。由来は内緒ですが、意味を込めて、店名を決めなければならない締め切りギリギリまで悩んで付けたもので、17年間使った愛着もある。でも、子どもと一緒ですよね。息子が大学を出て社会人になり、親元を離れていくのと同じような感覚。自分の手から離れても、誰かがしっかりやってくれればいい。
ー事業承継後のご自身の展望は。
今のところ、具体的な計画は決めていないけど、手打ち蕎麦のように体に負担がかかる仕事からは引退するつもりです。完全に何もやらなくなるわけではないですが、今のような「労働集約的な仕事」からは一歩退こうと思っています。「経営しながら遊ぶ」というような形で、無理のない範囲でできることを探したいな、と思います。

ー最後に、希望者に伝えたいことがあれば。
「守破離(しゅはり)」っていう言葉があるんですよ。武道の世界でもよく使われるんですが、何かを継承するときの基本的な考え方ですね。「守」は、まずは徹底的に基礎を固めて、決められた形を守る。これが最初のステップです。「この形じゃないとダメ」「ずれたらダメだぞ」と言われるように、まずは基本を完璧に習得することが大事。そして、そのままじゃダメなんです。いずれはそれを「破る」、つまり型を壊して新しいものを作らなきゃいけない。それが「破」。そして、「離」そして最終的には「離れる」んです。つまり、自分のスタイルを確立するということ。継承っていうのは、この「破」と「離」をしないと成立しません。どんどんぶち壊して、新しいものを作っていかないと、100年、200年続くものにはならない。だから、「継承するからといって、そのままやるだけではダメ」というのが私の考えです。
今、自分の店は17年続いていますが、何回も変革してきた。だから「今の形をそのままやればいいんだ」と思われちゃうと、それは違う。新しく店を継ぐ人が現れたら、当然、変えていかなきゃいけない。変えることを前提にしないと、長く続くものにはならない。それを踏まえたうえで、長くやっていく意思がある人に継承できれば嬉しいです。

終始茶目っ気たっぷりで、蕎麦についての豆知識のほか、今後同店を継続していくうえでどのような戦略を取っていくべきかについても語ってくれた加藤さん。継承する際は、こだわりの蕎麦職人としてはもちろん、経営者としても教えを乞うことができると思います。その思いを受け継ぎ、新たな「久留葉」を形創る方が現れることを願っています。
執筆 伊藤尚
事業者・募集情報
<名称>
蕎麦彩彩 久留葉
<所在地>
北海道函館市元町30-7
<代表者>
加藤 英俊
<設立年月日>
2008年7月28日
<資本金>
個人事業主
<従業員>
7名
<事業内容>
手打ちそば専門店
<交渉対象>
そば店を経営したい方
挑戦や変革を続けながら経営できる意欲のある方
毎日お客様に蕎麦を提供し続ける「継続の覚悟」がある人
※経験の有無は問いません
<希望売却金額>
1000万円 ※駐車場・店舗などは賃貸物件のため含みません。 ※承継した際は、別途手数料40万円がかかります。
<売却希望時期>
2025年3月末
<譲渡理由>
店主の体力的な問題に伴うそば営業の縮小
<注意事項>
店舗への問い合わせは営業の妨げとなるため、お控えください。
お守りいただけない場合、後継者としての取り扱いが難しくなる場合があります。
承継する事業者の財務情報は、5,500円/記事(税込)で閲覧できます。
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